ヤチムンの里の北側に位置する読谷山焼・北窯の窯焚きが始まった。窯の一番下にある大口(窯口)に組んだ琉球松に火が点けられ、炎が次第に勢いを増してきた。炎を見つめる陶工たちの眼差しは真剣だ。宮城正享さん、松田米司さん、松田共司さん、與那原正守さんの4 名が独立して1992 年に開いた北窯は、13 連房の登り窯。年に5 回、4 つの工房の共同作業で、大掛かりな窯焚きが行われる。窯焚きでは、それぞれの工房が交代で番をして、下から順番に袋と呼ばれる部屋に詰められた作品を焼成していく。「炎の質が違うので、ガス窯と登り窯を比較することはできない。
文化自体が違うからね。でも大きな窯をコントロールするには技量が必要。そこに職人としての誇りはあります」と松田米司さんは言う。薪の乾燥状態、気候、窯焚きの時間など、その状況の中で何ができるかとなったときに、最後は炎が決めるのだとも言う。「何年やっても、窯から作品を出すときは怖い。もう、どうにもできないのだけど、やっぱり怖い」。自らの力の及ばぬところで作品が完成していく。大いなる期待とおそれの気持ちが伴う窯焚きなのだ。
火入れをしてから8 日目の朝。十分に時間をかけて冷まされたヤチムンの窯出しの日だ。火を止めてから4 日以上たつのに、袋の中はほんわりとした温かさがまだ残っていた。次々にヤチムンを運び出す弟子たちの間を縫うように、親方たちが両手に作品を携えて、工房へと急ぐ。
「窯の中の作品はみんな気になるけれど、色を見てみたいものをまず出してみました」。直径が2尺(約60 センチ)あるような大皿や、実験的に同じ下地に異なる技法を施した作品など、窯焚きは新しい挑戦の場でもあるのだ。少々亀裂が入っていた大きな甕は残念ながら大きく歪んだ割れ目が入ってしまった。こればかりは窯を開けてみないとわからないのだが、その無念さは如何ばかりだろうか…。数千にも及ぶ作品が焼き上がる窯焚きに合わせて、全国から業者が買い付けに集まるそうだが、それにかける陶工たちのエネルギーも相当なものだ。「4 つの工房の共同体制で窯を焚く。自分たちのことだけを考えていたらとてもじゃないけどできない作業です」。覚悟がないとできないヤチムンの修業。火入れから窯の番、そして窯出しを黙々と行う若い陶工たちを見ていると、大変な作業だからこそ感じるやりがいと、伝統を支える一端を担う誇りを感じるのだった。